Blogまうまう
生きてるうちに言いたいことを言っておく
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恥丘の歩き方
 恥丘。

 この恥丘には我々のような存在以外、何も存在しないのは周知の事実だが、ふと疑問に思うことがある。
 どうして我々のような存在が何の疑問も抱くことなくこの恥丘に住み着いているのか。
 そんな当たり前のことを当たり前だとは認識できない私ことシュール・ストレミングはこの恥丘ではいささかイレギュラーな存在だった。

「おい、シュール。シュール聞いているのか? シュール!」
「ん? あぁ、聞こえている。問題ない。今日も素晴らしいハヤシ具合だ」
「ふん、心にもないことをさもそれらしく言いおって……」

 私の祖父さん。血は繋がってはいない。
 けれど、私が小さい頃からずっとそばにいてくれた人だ。
 そんな親も同然な祖父さんの長話に付き合うのがここ最近の私の日課だった。

「それより祖父さん聞いてほしいことがあるんだが……」
「なんだまた起源の話か。それならとっくに答えはでているだろうに」
「いや、その話はもういいんだ。他のヤツにも聞いてみたが、皆一様に同じ答えを口にするばかりで、私の考え方の方が異常だと気付かされた」

 そこまで言うと祖父さんはなぜか悲しそうな顔をして、押し黙ってしまった。
 私としてはそんなつもりは毛頭なかったのだが、私の語り口はどうやら人を不快にさせるようだ。

「シュールよ。お前はとても賢い。賢いからこそきっと私達には到底思い浮かびもしないことを考えてしまうんだろう。昔からお前はどこか異質だった。まるで私達の知らない世界が見えているようなそんな目をしていた」
「……」

 白く痩せ細った体を左右に揺らしながら祖父さんは答える。
 たしかに私は祖父さんが言うように、ここではない別の世界を見ているのかもしれない。
 この広い肌色の大地には、我々のような存在がそこらかしこに住み着いている。
 生まれたときからそんな光景を当たり前のように見てきたが、自分と他のヤツらとの決定的な違いを思い知ったのはつい最近のことだった。

 私は――

『ねぇ、どうしてシュールは自由自在に動くことができるの?』
『え? 君は自由に動けないのか?』
『動けないというか、そもそも動こうとすら思ないわ』
『それこそどうして? こんなに広い大地があるのに、どうして君は動こうとしないんだ?』
『シュール、そんなことを言ってはいけないわ。少なくとも私以外にはそんなことを言わないであげて』
『分からない。私は自分の欲求を素直に口にしたまでだ。それにこんな寂れた場所で君一人だけがずっと暮らし続けているなんて考えられないことだ。私なら寂しくなってすぐにこんな場所――』
『シュール、自分の価値観を誰かに押しつけるのは褒められたことではないわ。私は貴方がどんな風に生まれてどんな風に育ってきたかは知らない。けれど、貴方はおそらく私達とは違う生き方をしてきたのでしょう。そんな貴方をたしかに私は羨ましいと思う。だけど、この恥丘ではこれが当たり前なの。自らの存在がここにあるというだけで私達は満足できる。それはとても幸せなことじゃないかしら』
『…………』

――何者だ。

「……ル……い……おい、シュール!」
「はっ! すまない祖父さん。少し考え事を……うっ」

 頭の中を何かが這いずり回る悪寒に、私はその場で立ちくらみした。
 祖父さんが心配そうにこちらを見つめている。私は一体何者なんだ?

「シュール。お前はまたくだらないことを考えているんだろう」
「くだらない? 自分が一体どんな存在なのかを考えることがくだらないというのか、祖父さんは!」

 いつになくイライラした感情を胸に覚えた。
 普段はあまり感情を表に出さない私だが、この時ばかりは腹を立てずにはいられなかった。

「私には分からない。ここに住むもの達は皆どうして自由を求めない。この広い大地にただ縛り付けられているだけでなぜ満足できる。祖父さん、教えてくれ。私は一体どこから来てどこへ行くべきなのか」
「………」
「………」

 長い沈黙が二人の間を包み込む。
 私が祖父さんをこうやって困らせるのは何も今に始まったことではない。
 時折こうして、意味もなく沸き上がる苛立ちに翻弄されながら私はその胸の内を吐露してきた。
 そして、それをいつもただ黙って聞いてくれる祖父さん。
 答えなんかでるはずないと分かっているのに、それでも私は何かを追い求めずにはいられない。
 少し頭を冷やそうと思い、祖父さんの前から離れようと背を向けたその時、祖父さんはそっと口を開いた。

「シュール。あの丘の向こうには一体何があるのか知っているか?」
「え?」

 祖父さんが指さしたのは、この恥丘ではもっともタブーとされている区域、通称“世界の終焉へ続く丘”
 なだらかにカーブを描くその丘の向こうにはただひたすら闇が広がるばかり。
 誰もその先に何があるのかなんて知らない。唯一確かめに行くことができる私でさえ、そこへは行ったことがなかった。

 いつかの彼女が言っていたことを思い出す。

『動けないというか、そもそも動こうとすら思わないわ』

 今、私は間違いなく彼女と同じことを考えている。
 私なら行こうと思えば、すぐにでも行ける。でも行こうとは思わない。
 それは一体どうして? 何かに縛られているのは本当は私の方なのか?
 また思考がループし始めたところで祖父さんが話しかけてきた。

「確かめてくるといい」
「え?」

 予想外の一言に私の思考は再び加速し始める。
 確かめる? 何を? タブーを犯してまで確かめる必要性があるのか?

「シュールよ。お前だけがどうして自由にその身を動かすことができるのかは私には到底見当もつかない。しかし、お前のその能力があればあの丘の向こう側などきっと簡単に見に行くことができるだろう。そこにお前が求める答えとやらがあるかもしれない」
「そ、それは……でも……あそこへ行くのは禁止されているのでは?」

 祖父さんに言われて初めて丘の向こう側へ行ってみたいと本能が囁いた。
 でも、理性がそれを許そうとしない。今まで“行こうと思わなかった”ところへ今更行こうなどと虫が良すぎる話ではないか。
 本能と理性のせめぎ合いが続く中、祖父さんを見やるとどこかうれしそうな顔で言ってきた。

「かっかっか! そうかそうか、お前はまだ律儀に私の言ったことを守っていたのか」
「それは一体どういう……」

 こんなに声を荒げて楽しそうに笑う祖父さんを見るのは久しぶりだ。
 さっきまでのもやもやした気分が晴れるようなそんな笑顔だった。

「いやなに、お前がまだ小さかった頃、あの丘の向こう側へ行ってみたいとお前自身が私に言ってきたことがあった。その時はまだ今みたいに自分で自分を抑制するなど考えもしない年頃だったお前を心配した私は、咄嗟に嘘をついたのだ」
「嘘?」
「そうだ。あの丘の向こうには大いなる闇が広がっていて、そこへ行くとお前はその闇に食われてしまうぞと。そう言ってお前を脅してやったら予想以上に効果があって、それ以来お前はあの丘の向こう側へ行くなどとは一度も口にしなくなった。だがしかし、本当は誰も知らないのだ。あそこに一体何があるのか。あの丘の向こう側は本当に世界の終わりへ続いているのか。そんなことを思っても、誰もあそこへは行こうとしない。いや、そもそも私達にとってはあそこに何があろうとなかろうと関係ないのだ。お前のようにこの大地を動き回るような生き方は私達にはない。それはお前も知っての通りだ。だから私がお前に嘘をついたのは、まだ幼かったお前を純粋に心配してのことだった。それがいつしかお前の中ではとても大きな足かせになっていたとは……もう少し早く気付いてやれば良かったな……シュールよ、お前は何にも縛られちゃいない。お前こそ唯一この恥丘で自由という言葉が似合う存在だ」
「祖父さん……」

 祖父さんのその言葉で胸につかえていた何かがふっきれたような気がした。
 私は自らの足でその目であの丘の向こう側へ行ってみることにした。
 祖父さんに見送られて私はなだからなカーブを描く丘の上を歩いていた。
 もう少しでこの丘の頂上につく。果たしてそこから見えるものは何なのだろうか?
 期待に胸を膨らませながら、丘を上りきると、そこには―ー

「何もない」

 薄々気付いてはいたが、この恥丘はあまり広くない。
 一見すると広大に思えるこの恥丘だが、他の者と違い自由に動き回れる私にとってはむしろ狭いぐらいだった。
 それを口にするのは祖父さんの前でさえもさすがに躊躇われた。
 なぜなら、祖父さん達は自分から動こうとしないのでこの大地の広さを無限であるかのように錯覚しているからだ。
 例の彼女に出会うまでの私ならきっとつい口を滑らせてしまって祖父さんを今以上に困らせていたと思う。

『シュール、自分の価値観を誰かに押しつけるのは褒められたことではないわ』

 自分の価値観と自分以外のものの価値観は違う。
 外見だけは同じ存在であっても私と祖父さん達とは決定的な違いが存在する。
 それを考えずに私が思ったことをありのまま伝えてしまったならば、それはどんなに自分勝手で傲慢な行為なのだろう。
 結果的に私は彼女を傷つけることで、他の誰かを傷つけないことを学んだ。
 皮肉なものだ。こうして祖父さんに言われてやってきた丘だが、さすがにここからの光景を祖父さんにそのまま伝えるのは些か不憫に思えた。
 さて、どうしたものかと思案を巡らせていると、何もないと思っていた空間にかすかに光る何かが見えた。

「……あれは」

 と思った矢先、今まで綺麗に澄み渡っていた天に突然暗雲が立ちこめ、見たこともない白い何かが降ってきた。
 それはいくつかの大きな塊となって大地に降り注ぎ、みるみるうちに肌色の大地を白く染め上げていく。
 一見するとどこか幻想的な風景にも思えたが、私の胸の中はなぜか嫌な予感でいっぱいだった。
 先ほど丘の向こう側にチラリと見えた光も気になるが、今は何よりこの異常事態のほうが問題だった。
 丘を上がってきた道を振り返ると、あの白い塊がさっきよりも明らかに増量されて大地に降り積もっていた。

「あの辺は、祖父さんがいる場所だ……!」

 訳もなく沸き上がる不安を必死で押さえ込みながら、私は祖父さんの元へと走った。
 走ってる間にも天から降り続ける白い塊。それは大地に降り注ぎ、行く手を阻む。
 ここで迂回している時間はないと焦った私は勢いよくその白い塊に突っ込んだ。

「むおっ」

 予想していたのとは違う衝撃につい変な声を出してしまった。
 何かの塊というよりは泡状の個体と言った方がしっくりくるだろうか。
 視界が一気に悪くなり、もはや前に何があるのかすらわからない。それに体中を嫌な感触が包み込む。まるで何か得体の知れない生き物の中に入り込んでしまったようなそんな感覚だ。
 それでも私は祖父さんの安否が気になるのでかまわず前進を続けた。このまま方向さえ見失わなければ祖父さんの元へ帰れるはずだ。
 そう信じて、進み続けること数分。視界はますます悪くなってきて、もはや自分がどこにいるのかさえつかめなくなってしまった。

「しまった。このまま闇雲に進んでもますます迷うだけだ。何か……何かうまくここを脱出する方法はないのか……」

 気持ちはますます焦り、胸にうずまく嫌な予感はだんだんと大きくなっていった。

「ぎゃあああああああああ、裁きのイカズチだぁああああ!」
「天は我らを見放した」
「嫌だ、死にたくない。死にたくないよぉおおおおおおお!」
「っ!?」

 突然、自分の周りから聞こえる悲鳴に驚き、声のする方に向って走った。
 するとそこには――

「カミガミの子は天なる裁きによって、その身を天へと返す。荒れ狂うイカズチが突如としてこの大地に降り注ぎ、すべてを無に帰す。そして再び再生の時を迎えるだろう。新たなる繁栄は破壊によってのみもたらされる」
「くそ、ちくしょおおお。俺はこのあいだ結婚したばかりなんだぞ。なんで、なんでこんなことっ――」
「きゃあああああああああああ、あなたぁああああああああああ!」

 とてもこの世のものとは思えない阿鼻叫喚図が広がっていた。
 目の前で次々と消えていく命の灯火をただ黙って見ていることしかできない。

 助ける? でも一体どうやって?

 自由に動けるのは自分だけ。
 ここにいるものは皆ただひたすら死を待っている。
 それがここでは常識、当たり前、日常茶飯事。
 けれど、今目の前で行われているコレはあまりにも理不尽で、一体どんな理由があって彼らは殺されているのだろう。
 そして私はどうしてこんなところにただぼーっと突っ立っているのか。
 誰か教えてほしい。今私がすべきことが何なのかを。

「お、お前は確か、シュール。そうだ自由自在のシュールじゃないか」
「っ!」

 目の前の見知らぬ誰かに突然自分の名前を呼ばれて正気に戻る。

「お前は俺達と違って自由に動けるんだろ? つまりそれは今この状況においては誰よりも優位ということじゃないか。ならお前にやってほしいことがある。アレを……あのカミの裁きってやつをとめてくれ! 頼む、俺達じゃどうすることもできない。お前しか頼りがないんだ。この世界を救えるのはお前だけだシュール。だからどうかあのイカズチをっ―ー」

 ズシャッという聞き覚えのない音。
 今目の前にいた見知らぬ誰かが一瞬にして消滅した。
 いや、視界では確かにそう認識できるが、当然頭はついてこない。
 これは一体何の冗談だ? カミの裁き? 私が止める?

「ははは……」

 極限状態にまで追い詰められた精神は笑うという行為でなんとか安定を保とうとする。
 しかし、そんなのはその場しのぎにしかならない。あっという間に崩れるのは自明の理だった。

「シュール。シュールがいる!」
「おい、お前、アイツをとめてくれ!
「そうよ、私達じゃどうにもできないわ」
「お前、動けるんだろ! ならその能力をこの一大事に使わなくてどうすんだよ!」
「そうよ、はやくなんとかしなさいよ。でないとわたっ――」
「きゃああああああああああああああ!」
「うわぁあああああああああああああ!」

 次々と失われていく命。
 私はもはや何が何だかわからなくなって、その場から逃げ出した。
 逃げ続けている間も背後から悲痛な叫び声が聞こえ続ける。
 途中誰かに出会うたびに助けを求められるが、ただ動くことができるだけの私に一体何ができるというのか。
 助けたいという思いと自分には何もできないという矛盾した思いがせめぎ合ってるうちに助けを求めてきた相手がその身ごと無くなってしまっている。
 読んで字のごとく、無だ。
 普段散歩していた道も。数少ない気の合う仲間と談合していた広場も。あの人がいるお気に入りの場所へ続く通り道でさえも、みな同じように何もないただの肌色の大地へと変わってしまっていた。
 散歩していたときにいつも挨拶していたあの仲の良い夫婦達も、自由に動ける私を仲間はずれにさせないように必死で周りに働きかけてくれていたあの仲間達の面影すらも、もうどこにも残っていない。
 そして、今の私にとってとても大切な何かを教えてくれたあの人。
 そうだ、あの彼女は無事だろうか。
 私は無尽蔵に溢れてくる涙を拭いながらも彼女のいるお気に入りの場所を目指した。

 しかしそこには――

「あら、シュール。こんにちは。どうしたのそんな情けない顔して。また誰かに嫌みを言われたのかしら?」
「っ――」

 ――体の半分をごっそり失っているというのに今までと変わりない笑顔で微笑みかけてくれる彼女の姿があった。

「そ、その体……」
「あぁ、さっきあのイカズチが私のところにも落ちてきて、この身を半分持っていったの」
「持っていったって……そんな……あれはそんな生やさしいものじゃ……!」

 ここに来るまでに見てきたもの達の対応とは明らかに違うその有様をみて、私はかける言葉を失った。
 自己の保身を優先するばかりに、私に難癖をつけて罵声を浴びせてくるものも確かにいた。
 純粋に助けを求められて、それでもなんとかしたいと思った私の目の前で消えていくもの達の声も聞いた。
 でもそのどちらもが自分の命をなんとかしてこの大地に繋ぎ止めたいという悲痛な思いを叫んでいたのは間違いなかった。
 自分がもし彼らと同じ立場なら同じ事を思ったに違いない。
 けれど、彼女は違う。彼女の目は死を目前にしてなおその美しい輝きを失ってはいなかった。
 むしろこれは当然のこと……いやあるいは必然の出来事であるとさえ割り切っているように見える。
 彼女はどうしてそこまで――

「シュール。貴方が考えていることが私には手に取るようにわかるわ。けれど前にも言ったように、私には私の価値観。貴方には貴方の価値観が存在する。一体どちらが正解なんてのはこの世の中には存在しない。そう思ったからそうする。そう思わなかったからそうしない。そうやって世界は個を中心にしつつも、全体としてはさほどズレが生じないようにゆるやかに形成されていくのよ」
「…………」

 彼女の優しい声がいつものようにすうっと胸の中に落ちていく。
 けれど、今のこの状況では彼女の言葉の意味を一つ一つゆっくりと解読することはできない。
 一体彼女は何を言っているんだろう? 私に何を教えてようとしているのか。
 この期に及んでさえ、彼女は無知な私に必死で何かを伝えようとしている。ただそれだけは分かる。
 だから私は彼女の発する言葉を一字一句聞き逃さないようにと耳を傾けた。

「シュール。落ち着いて聞いて。今貴方がすべきことはたった一つだけ」
「私がすべきことはたったひとつ……」
「そう、難しいことは何も考えないで。貴方はただここからいつものようにお祖父さんの元へ帰るの」
「帰る? それだけ?」
「そうよ、それが今貴方がすべきたった一つの事よ」
「…………」

 混濁していた頭の中から余計なものを追い出してゆく。
 彼女の言葉により、自分が今すべきことが何なのかはっきりと意識することができた。
 でもそれは――

「できない。それじゃ君は一体どうなるんだ? 私がここからいなくなってしまえば君は――!」
「シュールよく聞いて。私はもう貴方に救われているわ。貴方がここに来てくれたおかげで私の生き方や考え方は一変した。それはもう今までがほんと嘘のように光り輝く日々を貴方は私に与えてくれた。それだけで十分すぎるほどよ」

 私が彼女を救っている?
 そんなはずはない。
 だって私はいつだって彼女を傷つけるようなことばかりしてきた。
 それなのに、なんで彼女はこんなにも眩しい笑顔で私に接することができるのか。

「私には分らない。自分で自分が分らない。それなのにみんな私に救いを求めるような目をむけてくる。そして君はそんな私に救われたと言う。私自身は何もしていない。いや私にはそもそも何も出来ない。私はもう動きたくない。こんな訳の分らない気持ちを抱えるぐらいならいっそ君たちみたいにこの場にずっと留まりたい……うぅ……」

 たまらず涙を流してしまう。
 いろんなものが一度に押し寄せてきて、もう何が何やらわからないぐらい頭はぐちゃぐちゃだ。
 けれど、そんな情けない状態の私を見ても、彼女は蔑むどころか、むしろ当然のことのようにこう言った。

「もっと近くにきて、シュール。私が貴方のその不安ごと抱きしめてあげるから」
「……ぐずり」

 鼻水をすすりながらも私は彼女に言われたとおり、そばにまでやってきた。
 近くで見れば見るほど彼女の体の異常さがはっきりと認識できる。
 体の半分をごっそり失い、この場に立っているのがやっとの状態に見えるのに彼女は笑顔を絶やさない。

「貴方のその考えて考えて深みにはまる性格はとてもかわいいと思うわ。不謹慎だけれど、私はそうやって悩んでるときの貴方がとても大好きなの。だって一生懸命なんですもの。私達が考えもしないことで悩み、思いも寄らない結論を導き出す。私にとって貴方は風船のようなもの。外から見ている分にはとっても可愛いけれど。きっとその中には私には分からない、いろいろなものが渦巻いているのね。そして、それに耐えきれなくなった風船はいつか破裂して消え去ってしまう。貴方にはそんなことにはなってほしくない。だから今は気が済むまで泣いて……私のこんな体で貴方を癒せるとは思えないけれど……まだ、今の貴方を支えるぐらいの力は私には残ってるわ」

 彼女のなすがまま、言われるがままにこの身を預ける。
 これじゃあまるで真逆だ。本当なら私が彼女を支えてあげなければいけないはずなのに。
 でも今はもうこれ以上何も考えたくない。彼女の柔らかい体と優しい温もりが私の心を落ち着かせる。
 あーそうか、私はこうやって誰かの胸に抱かれたかったのかもしれない。
 周囲と違う自分を自覚してからは誰かに甘えるという行為をしなくなった。
 けれど、ほんとは甘えたかったのだ。誰かにこうして抱かれるように甘えたかった。これが私の本当の気持ち。

「――さん」
「よしよし。良い子良い子」

 いつまでそうしていただろうか。気づいたら周りはとても静かになっていた。
 彼女に抱かれることで私の心は再び安定を取り戻すことができた。
 けれど、現状はおそらく何も変っていない。いやむしろ悪化しているかもしれない。
 それでも私は……

「そろそろ行くよ」
「そう、良かったわ。こんな私でも貴方の役に立てて」
「そんな、私はいつも君に……いや、そうじゃないな。うんありがとう。君のおかげで私はとても大切な何かを手に入れた気がする」
「ふふ、貴方がそんな風に笑った顔、初めて見るかも」
「え? そうかな、私はいつも笑っていたつもりだったけど」

 どちらからともなく、くすくすと笑い出す。
 こんな絶望的な状況で笑い合うのはおかしなことかもしれない。
 けれど今の私達の笑うという行為はこれから前に進むための大事な儀式でもあった。

「じゃあ、行ってくるよ」
「うん、お祖父さんによろしくね」
「あぁ……その……」

 これがもしかしたら彼女との最後の別れになるかもしれない。
 私はなんと言って別れたらいいのか悩んだ末にこう言った。

「また来るよ」
「うん、待ってる。貴方にまた会えることを楽しみにしてるわシュール」

 そして、私は二度と振り返ることなく彼女の前から立ち去った。
 もう迷わない。迷ってはいけない。
 私はだんだん足を速めると、祖父さんがいる場所に向かって全速力で走った。
 この大地の上で唯一自由に動き回れる存在。
 誰よりも速く、誰よりも広く世界を見渡せるそんな自分。
 けれど本当は何も知らなかった。ここにいる誰よりも私は無知であった。
 それを自覚した今、私は知らなければならない。
 私がここにいる意味、そしてこの世界の仕組みを。

「はぁはぁ……祖父さん……」
「遅かったなシュール」

 いつものように祖父さんは、帰宅時間が遅くなった孫を心配するような優しい口調で言った。
 その顔には微塵の焦りもなく、目の前に広がる残酷な光景にさえ微動だにしない。
 それがかえってより祖父さんがすべてを知る存在だということを強調していた。

「教えてくれ祖父さん。なぜ私はここにいる。あんたは一体私に何をさせようとしている」
「シュールよ。この光景を目に焼き付けておくがいい。これが世界の終わりの光景だ」
「………………」

 私は祖父さんに言われるがままに辺りを見渡した。
 何もない。見渡す限り肌色の大地しか見えない。
 つい数時間ほど前までは黒々としたハヤシが鬱そうと生い茂っていたのに。

「祖母さん、いや私の妻もこうして数年前に私の前から消えていった……」

 そう言うと祖父さんは何かを決意したかのように、私の目を見つめてきた。
 その圧倒的な眼力に気圧されまいと、私も精一杯の力を瞳に込めてにらみ返す。
 すると、祖父さんは何がおかしかったのか、クスリと小さく微笑むととんでもないことを口走った。

「お前がその祖母さんの生まれ変わりだ」
「――え?」
 
 意味が分らない。いや言葉の意味は理解できる。そうじゃない。
 祖父さんは何寝ぼけたことを言っているんだ? 私が祖母さんの生まれ変わり?
 そんな馬鹿なことあるわけ……。

「無理もない。こんな話を信用しろと言うほうがおかしいだろう。だが、お前にはいずれ話さなければならないと思っていた」

 祖父さんの目は真剣だ。少なくともそれが嘘をついてる目ではないことだけは分かる。
 だから私は今すぐにでも叫び出したい衝動を抑えて努めて冷静に問い返した。

「私が、祖母さんの生まれ変わり? それは一体どういうことなんだ祖父さん」
「ふむ、今のお前になら話しても大丈夫だろう」

 そう言うと、祖父さんはゆっくりと話はじめた。

「あの時も、私と祖母さんはここで二人気の向くまま目の前に広がるハヤシを眺めて談笑していた。それが突然、先のように天に暗雲が立ちこめ、あの白い塊がこの地に降り注ぎ裁きのイカズチが下った。そのあとはお前も知っての通り、瞬く間にハヤシはその存在ごと狩り取られていった。この大地の至るところから聞いたこともないような悲鳴がたくさん溢れた。でも私が本当にショックを受けたのはそんなことじゃない。すぐ隣にいる祖母さんが私の目の前から一瞬にして消え去った――それが私にとっての最悪だった」

 心の底から悲痛を叫ぶような祖父さんの表情に私の胸はひどく締め付けられた。
 私が何も言えずに戸惑っているのを知ってか知らずか祖父さんは淡々と話し続ける。

「なぜ祖母さんだけが狩られて私だけが生き残ったのか。私は何度も天に懇願した。祖母さんをやったなら私もやれと。どうして私だけを生かしておくのか。そのあまりの理不尽さに耐えきれず私は幾度も天に向かって叫んだ。けれども天は何も答えない。分かってはいた……アレにはこちらの声は届かない……。アレはただ自分が狩りたいときに狩りをし、したくないときはしない。ただそれだけの存在あるいは現象だ。私達はこの大地に縛り付けられているだけ。逃げるなんて発想がそもそもない。それを理解してしまったとき私は考えることをやめた。そして、祖母さんが消えて何年か過ぎ去り、ハヤシは持ち前の生命力の強さで以前のように力強く命を吹き返していた。いつの間にそんな時間が経過したのか私にはどうでもいいことだったが、そこで無視できないとんでもない事が起こったのだ」
「とんでもない事?」
「そう、シュール。お前が私の前にやってきたのだ」
「!」

 私に両親がいないのは祖父さんに聞かされて知ってはいたが、こうやって改めて祖父さんの口から自分の出生の秘密を聞かされると正直どう反応していいか困った……。

「お前の前でこんなことを言うのもあれだが、最初は不気味だったよ。突然目の前に現れた黒い塊は私の周りをずっとふよふよと飛び続けていたのだから」

 それは確かに不気味だ。まさか自分がそんな変なものから成長した存在だったなんて。開いた口が塞がらない私を無視して祖父さんはさらに続ける。

「しばらくすると、その黒い塊は祖母さんのいた場所にゆっくりと降りてきた。完全に祖母さんがいた場所に根付いたかと思うと、それは急に成長をし始めたのだこうニョキニョキと……」
「……」

 いや祖父さんがそんな冗談を言うはずはない……言うはずはないのだが……。

「なんだ、その目は。もしかして私を疑っているのか? まぁ確かに私も当時は信じられなかったが、今思い返してみれば、あれは祖母さんの加護だったのかもしれないと思うようになった。シュール。今更お前に祖母さんの代わりになってくれとは言わない。ただ知っておいてほしい。今のお前は私にとって祖母さんと同じくらい大切な存在であると。お前が何者であろうと、それだけは決して変ることはない。これまでも、そしてこれからもな」
「……祖父さん」

 祖父さんの優しさがなんだか照れくさい。祖父さんが言ったことが事実だとすれば、私は矢張りここにいるみんなとは違う存在だということになる。
 けれど、祖父さんはそれでも私を大切な存在だと言ってくれた。それにあの彼女も。
 ようやく分かった気がする。私がここにいる意味。そして、私がこれからすべきことも。

「祖父さん一つ教えてくれ。あのハヤシはまた元に戻るというのは本当なのか?」
「あぁ、ただしそれは何もかも元通りという意味ではない。あのイカズチによって一度狩られてしまったものはもう二度と蘇ることはない。それは当然のことだ。我々は永遠ではない。必ずどこかに始まりがあり、そして終わりがやってくる。つまり、私達が消えてもまた次の世代が生まれてくる。たったそれだけのことだ。お前が心配してるほど、この大地は絶望ばかりではない。お前がどんなもの達に出会ってきたのかは私には分からないが、その中には現状を受け入れ、明日に希望を見いだしているものもいただろう」
「……いたよ、祖父さんと同じように絶望の淵に立たされてなお、光を見失っていなかったものが……たしかに」
「そうか……」

 祖父さんはそう頷くと、それ以上のことは詮索してこなかった。
 私は一瞬、例の彼女のことを包み隠さず祖父さんに伝えようとも思ったが、彼女のことを知ったところで、祖父さんは彼女に会いに行くことができない。それを考えると、黙っている方がいいのかもしれないと思い伝えなかった。
 逆に彼女には祖父さんのことを何度も話してしまっていたが、彼女は動けなくてもこの世界のことをより多く知りたがっていた。
 だからどちらが正解なんてのはないのだろう。彼女が言ったように。

「さて、これからどうするシュールよ」
「どうするも何も、まずは今この現状をなんとか……」

 ……しようにもあのイカズチを止める方法は分からない。ならば、唯一この大地で自由に動けるこの能力を生かして、祖父さんのようにまだ狩られていないもの達を助け――

「まさかとは思うが、お前一人でまだ生き残っているもの達を助けに行くなどとは言わないだろうな」
「なっ!」

 どうして祖父さんまで私の考えていることが読めるんだ? あの彼女もそうだった。
 まさか私は知らず知らずのうちに自分の考えを口にしてしまっているのだろうか。

「何を勘違いしてるのか知らんが、お前は考えていることが顔に出やすいのだ。それにお前の性格から考えればきっとそう言うだろうと推測したまで。決してお前の心を読み取ったとかそんな変な能力は私にはない」
「……」

 それでも私には十分すぎるほどの驚きだ。自分がそんな分かりやすい顔をしていたなんて。
 でもだからって私の考えまで否定される謂われはない。

「どうして助けに行っては駄目なのか。祖父さんは心配じゃないのか? 同じ大地に住むもの達が今もどこかで祖母さんと同じような目に遭っているんだ。それでも祖父さんは助けに行くなというのか」
「駄目とは言っておらん。ただ本当にそんなことをして喜ぶものがいるかどうかは甚だ疑問だ」
「それでも私はっ!」
「落ち着けシュール。お前がやろうとしていることは確かに立派な事だ。だが、動くことの出来るお前と動くことの出来ない私達ではどうあっても相容れない価値観というものが存在する。そんなお前が私以外の……いやお前の能力を受け入れてるもの以外のヤツらを助けに行ってみろ。感謝はおろか、むしろ唯一動けるお前を非難して、荒れ果てた大地がますます荒れゆくことになるぞ」
「そ、そんなのやってみないと分からない!」
「では言い方を変えよう、お前がもし動けないものの立場で、すべてが終わったあとに動けるものが助けに来たと言ってお前の前に現れたとしよう。お前の周りの家族や友人はみんないなくなってしまった状況を想像するとよりよく分かるだろう。さぁ、お前ならどうする? 動けるものを一体どんな風に出迎える? 素直に差し伸べられた手を受け入れるか?」

 無理だ。親しいもの達はみんな息絶えて、唯一生き残った自分の元に動けるものが今更やってきたとしても、そんなの受け入れられるわけがない。
 だってそいつは唯一この大地を自由に動き回れるのだ。みんなが等しく狩られている間、自分だけは自由に逃げることができた。
 そんなやつがのこのこと逃げなかったもの達の前に現れてみろ。それは冒涜以外のなにものでもないではないか。
 私はすべてを失った彼らの尊厳までも奪おうとしていたのか。

「くっ……くそ……どうして私は……」

 こう何度も何度も同じような過ちを繰り返そうとするのだ。彼女に言われたことをまるで分かっていないじゃないか。
 こうしてまた祖父さんに止められなければ、私はきっと――。

「結局お前一人ではどうにもならないってことだ」

 そんなことは分かっている。分かっているが、じゃあ私は――

「じゃあ私は何をすれば!」
「何もしなくていい」
「え?」

 思わず出てしまった心の叫びに祖父さんはあっさりと答えを返した。
 まるで私が悩んでいたのがバカみたいだ。自分からこれからどうすると聞いてきたのに、何もしなくていいとは。
 祖父さんの考えていることが私にはまるで分からない。

「私の本音だよ。お前にはもうこれ以上何もしてほしくない。お前が動くことで他のものが傷つくかもしれない。でも本当はそんなことはどうだっていい。私が心配なのは、お前自身が傷つくこと。お前は優しいから、きっと他のものに責められても耐え続けるだろう。それでもお前はお前に出来る精一杯のことをしようとするだろう。私にはそれが耐えられんのだ。お前の悲しむ姿をこれ以上見るのは忍びない。ならばもう、動く必要はない。お前はずっと私とここで暮らしてくれればそれでいいと思ってる。お前の価値観からすれば間違ったことを言ってるかもしれない。それでも私が一番大事なのはシュール……お前ただ一人だけなのだ」

 祖父さんが泣いたところを初めて見た。溢れる涙を拭おうともせずに私に語りかけるその眼差しは何物にも代え難い輝きを持っていた。
 私は考え違いをしていたのかもしれない。所詮私一人ではこの大地は救えない。そんなのは傲慢だ。それならもういっそすべてを受け入れ、皆と同じようにこの大地に根付くのがいいのかもしれない。
 少なくとも祖父さんにとってはそうすることが一番幸せなことなんじゃないだろうか。
 次にあのイカズチが落ちるまではずっと一緒だ。もしまた片方だけがやられたとしても、祖父さんが言うように、次の世代が生まれるのを待てばいい。そして伝えていけばいい、この大地で起こった様々な出来事を。
 それがありのままを受け入れるということ――。

 私は大きくひとつ深呼吸をすると言った。

「ありがとう、祖父さん」
「分かってれたかシュール」
「あぁすごくよく分かった。……でも祖父さん、私は行こうと思う。この大地を救う道を私はこの足で歩こうと思う」
「……シュール」

 また祖父さんを悲しませてしまったか。でも私には分かってしまったのだ。祖父さんが言うように何もしないのが一番だと思う。でも私は祖父さんではない。私には私にしか出来ない何かがきっとあるはずなんだ。それを探し出すまではここで立ち止まるわけにはいかない。

「そうか、矢張りな。お前のその頑固なところは死ぬまで変らんか。かっかっか! あっぱれ!」
「祖父さん?」

 さっきまでの暗い顔はどこ吹く風。祖父さんの表情は打って変わって五月晴れだった。

「ならばもう私から言うことは何もない。思う存分探すが良い。お前自身が信じる救いの道とやらを。やれやれこんなことならあんな泣き真似演技なんてしなくても良かったかもな」
「な、祖父さんあんたまさか私をため――」
「私は今も昔も嘘つきだ。それを見抜けなかったお前はまだまだ未熟ということだ」
「ぐぬぬぬ」

 それでも私には分かる、祖父さんは意味のない嘘はつかない。
 祖父さんが嘘をつくのは今も昔も私のためだったということを。

「とりあえず、あの丘の向こうを目指してみようと思う」
「ほほう。矢張りあそこには何かあったのか?」
「いや何もなかった。ただ気になることはあった。あの向こうは完全な闇じゃない。私はかすかに光る何かを見たんだ」

 そうずっと気になっていた。あのイカズチが落ちる前、闇の向こうに光る何かを見たことが。私にはアレを確認する義務がある。いや、もうそんな堅苦しいのはよそう。私は見たいのだ。あの闇の向こうに広がる世界を。

「じゃあ行ってくる」
「うむ、気をつけてな」

 お互いにそっけない挨拶だが、これでいい。
 これっきりもう会えなくなるわけじゃない。祖父さんはずっとここにいる。そして私はこの自由に動ける足でまたここに戻ってくればいい。そう私にはちゃんと帰る場所が――
 と、突然大地が激しく揺れ動く。

「じ、地震!?」
「むぅ……矢張り来たか……」
「祖父さん、コレは一体!」

 私が慌てて祖父さんに駆け寄ろうとすると、祖父さんは険しい表情でこちらをにらみ返した。

「お前は行け! 何も考えずあの丘の向こうを目指せ!」
「しかし、それだと祖父さんは!」
「馬鹿もんが! たかだか、大地が揺れたぐらいで大騒ぎしおって。こんなのは前の時もあったことだ。私の経験上この揺れはあとしばらく続く。しかし、数十分もすれば揺れは収まり、再び大地は平穏を取り戻す。私達には何の影響もない。その程度のものだ。だから私達のことは心配しなくていい。むしろ逆に急いだ方がいいかもしれん」
「どうして!」

 揺れがだんだん大きくなり、立っているのもやっとの状態だった。

「この大地の揺れと、お前の言う救いの道とやらは関係しているような気がする。確信はないが、おそらくこの揺れはあの丘の向こうから来ている。なぜか私にはそう思えるのだ。だが私はそれを確認する術を持たない。それがシュール。お前になら出来るのだ。この揺れが収まると次はいつ来るのかわからん。なんせイカズチのあとに起こる現象だからな。だからチャンスは今だけだ。私のことは心配しなくていい。全力で走れシュール! お前の信じる道を突っ走るんだ!」
「わ、分かった!」

 祖父さんがそう言うならきっとあそこに何かあるんだろう。
 後ろ髪を引かれる思いだったが、私は何とか自分を納得させて丘に向かって歩き出した。
 まだ揺れが大きくて走ることはできないが、祖父さんが言っていることがほんとだとしたらこの揺れが収まる前にあの丘のてっぺんにはいたほうがいいだろう。
 もう迷ってる暇はないんだ。
 最後にもう一度だけ祖父さんの方を振り返る。

「祖父さん、また絶対帰ってくるから。それまでどうか元気で! そして今まで本当にありがとう。私はあんたに育てられてほんとによかったと思ってる。私の一番も祖父さん……あんただけだ!」
「はっ! 今更気づいても遅いわ! しっかり見つけてこい。お前の信じる夢ってやつを。そしていつかきっと――」

 それ以上は何を言っているのか聴き取れなかった。
 でも私には分かる、祖父さんが一体どれほどの寂しさを押し殺して私の背中を押してくれたか。
 それを無駄にするわけにはいかない。私はここで何かをつかみ取らなければならない。
 祖父さんのために……自分のために……そしてあの彼女のためにも。

 丘のてっぺんに来る頃には揺れもだいぶ収まっていた。辺りを見渡すが矢張り何もない。
 と、よくみると闇の向こうに何か道のようなものが浮かんでは消えてゆく。
 丘の端――陸地がなくなっているギリギリのところまで行ってみると、信じられないものがそこにあった。

「な、なんだこの赤黒く変色した丸い物体は……」

 と、突然その赤黒い物体が丘に向かって突進してきた。

「うわああああああああ!」

 慌てて後ろに下がるが、バランスを崩してその場に大きく尻餅をついてしまった。
 ヤバイと頭を咄嗟にガードしたが、しばらくしても何も襲ってはこなかった。
 恐る恐る目を開けてみると……

「消えた? いや違う。これは……」

 なんということだろう、あの赤黒い物体は今私が立っているこの丘にぶつかって一体化してしまっている。
 まったく訳の分らない状況に困惑していると、先ほどと同じような地震が再び起こった。

「くっ、そうか。あれが地震の正体か」

 あの赤黒い物体がこの丘にぶつかることで振動が発生し、大地に揺れを生み出していたのだ。
 確かにこれだけでは祖父さんがいる辺りには揺れが伝わるだけで被害は特にないだろう。
 ほっと安心したのもつかの間、揺れに耐えながらよく丘の向こうを見つめると矢張り何かの道のようなものが見え隠れしている。

「もっと近づいてみないと」

 大地に這いつくばりながら私は道らしきものを探す。
 するとどうだろう。あの赤黒い物体は単体ではなく、その背後に太くて大きな茶褐色の道を一緒に引き連れているではないか。

「そうか、そういうことか」

 あれはこっちの大地とまだ見知らぬあちらの大地とをつなぐ通路に違いない。
 で、理由は分らないがあの通路が出現するのは裁きのイカズチが終わった直後。
 それを確認できるヤツはこちらの大地にはいなかった。
 唯一、私というイレギュラーを除いては。

「もしかしたら、私のような存在があちらの大地にいるのかもしれない。祖父さんは言っていた。私は最初黒い物体のようなものでふわふわと飛んでいたと」

 だとすれば、そんな意味不明な物体がやってくるとしたらここから以外にない。
 向こう側に渡ればきっとあのイカズチの謎も、私という存在の謎も解けるかもしれない。
 コレは行くしかない。なのに、どうしてこの足はこんな大事な時に――

「動かない。どうして、目の前に答えに続く道があるというのに。なぜ私は動けない!」

『私が一番大事なのはシュール……お前ただ一人だけなのだ』
『うん、待ってる。貴方にまた会えることを楽しみにしてるわシュール』

 そうだ。分かってる。私にはもう自分以上に大切な存在が二人もここにいるんだ。
 それでいいじゃないか。それ以上何を望むというのだ私は。
 私の足は自然と彼らがいる方向に向かって向きを変え始める。
 そうだ、帰ろう。たとえ向こう側に私が求める答えがあったとしても、もう一度こちらに戻ってこれる保証はどこにもない。
 あのイカズチは定期的に落ちるようだが、この通路まで同じように定期的に繋がるとは思えない。
 何かの偶然が重なって起きた現象なのかもしれない。私のことも。偶然が重なった結果、私はこちら側に流れ着いただけなのかもしれない。
 それならいっそそれを受け入れ、こちらで祖父さん達と一緒に過ごすのが正しい選択なのかもしれない。
 そう考えるともう、ここから先へ進むことは無駄なような気がしてきた。

『シュール。落ち着いて聞いて。今貴方がすべきことはたった一つだけ』
『全力で走れシュール! お前の信じる道を突っ走るんだ!』

「あぁ、まったくそのとおりだな」

 走った。

 何も考えずただひたすらに前に。
 
 そうすることが私の使命だと言わんばかりの勢いで、足を前に押し出す。

 息が乱れるのもかまわずただただ前に向かって走る。

 彼女は一人でも大丈夫だと言った。

 祖父さんは一人だと寂しいと思っていた。

 私は一人では何も出来ないと痛感した。

 だから走る。

 彼らの思いを胸に私は走り続けることを選ぶ。

 たとえそこに終わりがなくても。

 行けるところまで私は突き進もうと思う。



 なぜなら――



 私はシュール・ストレミング。

 この大地で唯一自由に動き回れる存在。

 私は今日、新たな大地への第一歩を踏み出した。




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テーマ:短編小説 - ジャンル:小説・文学

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