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都市伝説『口裂け女』
「なぁ、知ってるか? 口裂け女の噂」
「知ってる。知ってる。この街にもついに出たんでしょ」
「そうそう、やっぱ噂どおり口がこーんなに大きく裂けててそこから空気がものすごい勢いで漏れてたってさ」
「やめてよ、想像しちゃうじゃない……」

 ココはいつだってこんなくだらない話題が渦巻いてる場所だった。俺は小学生ぐらいの子達が和気藹々とチュッパチャップスを食べならそんな嘘か本当かも分からない都市伝説について真剣に語り合うのを見てため息をついた。
 その子達にじゃない。そういう都市伝説を純粋に楽しめなくなった自分に対してため息をついたのだ。
 もう自分もいい年なのに、学生気分が抜けきらないのかまだこんなところに通っている。

「何にします?」
「ロイスパ十本」
「かしこまりました」

 ココは通称チュパバー。主に小学生から高校生ぐらいのお客を対象にした未成年版バーである。バーと名がついてるとおり、内装もシックで、どこかアダルティーな雰囲気を醸し出している。けれどここにアルコール類は一切置いていない。元々未成年を相手に商売しているのだからアルコール類なんて置くわけもないんだが、それでも大人になった気分を味わいたいという子供は大勢いる。
 そこに目をつけたココの店主は今流行のチュッパチャップスとバーを融合した新しい形態の店舗を開店。そしてそれは見事にヒットし、こうして学生達の間で評判が広まり、今では定番の学生の溜まり場として使用されている。
 チュッパチャップス自体の値段もお手頃なので、小学生でも気軽に来れるのが功を奏したのだろう。放課後の時間帯になるとぞろぞろと人がひっきりなしに入ってくる。
 だからといって柄の悪い連中が集ることはなかった。なぜならここにあるのはチュッパチャップスのみ。チュッパチャップスを好んで食べるヤツなんてどこか平和ボケしたヤツか俺のようにいつまでも子供気分を味わいたいと思ってる変わり者ぐらいだろう。
 だからここはいつだってこんなくだらない話題で盛り上がれる青春の掃き溜めだった。

「チョリーーーース! ケンちゃんおまた!」
「……………」

 いきなり背中に飛びつかれて、口に含んでいたチュッパチャップスを喉に突き刺すところだった。
 俺は背後にいる彼女……あぁ語弊でもなんでもないが、恋人という意味での彼女――照美の口に無言でチュッパチャップスを突き刺した。

「むぐぐぐ、ちゅむ……ちゅむり……けむちゃん、うぃきなりなにすゆの?」
「いきなりはお前だ馬鹿。もう少しで喉にチュッパチャップス刺すところだったろうが」
「めんごめんご、ちゅるり……ぺちゃぺちゃ……ちゅぽん! またロイスパかよケンちゃん!」
「好きなんだよ……わりぃか……」

 ロイスパとは、ロイヤルストレートチュッパチャップスの略で、この店では割と高価なタイプのチュッパチャップスだ。味はとても飴とは思えないほど甘くなく、それでいていつまでも舐めていたいような微妙な酸味を帯びている。ほとんどの人はこれをまずいと一言で済ませるが、こと俺に限ってはこれがもっともしっくりくる味だった。学生の頃からロイスパ一筋。まぁさすがに一日百本食べていた頃に比べたら今はだいぶペースも落ちたが、それでもこれが好きなことに変りはない。照美と付き合う以前からずっと一緒だったんだ……今更やめられるわけない。
 そんな俺に無理矢理口に突っ込まれたロイスパを文句言いながらも食べる照美は可愛いヤツである。俺の学生気分が抜けきらないのも案外コイツのせいかもしれない……なんて思うぐらいには俺も十分平和ボケしていた。

「ねぇ、ケンちゃんはもう聞いた? あの噂」
「口裂け女の話だろ、それならココにきてからもう三十回ぐらいは聞いてるよ」
「えーつまんなーい」

 本当につまらなさそうな顔をする照美を見て、俺はなんとか話を繋げようと試みるが、俺が口裂け女の都市伝説について知ってることはほとんどといっていいほどなかった。
 だから昼からココにいる俺が他の客達から漏れ聞こえる噂話の中で特に印象に残っていた話を振ってみることにした。

「じゃあさ、お前口裂け女が目の前に現れた場合、どうやって撃退すればいいか知ってるか?」
「あ、それ知ってる、知ってる! あれでしょ、べっこう飴渡すの!」
「え? 俺が聞いたのはポマードぶつけるってやつなんだけど……」
「ちょ、ナニソレひどい。仮にも女性にそんなのぶつけるなんてケンちゃん最低」
「最低ってお前……相手は口裂け女……」

 女ってのはどうしてそうすぐに感情論に走るのか……そもそも実在するかどうかもわからない人間にポマードなんてぶつけようもないのに……いや待てよ、そもそもポマードをぶつけるってなんだよ……よく考えたら口裂け女じゃなくてもポマードぶつけられたらそりゃ誰だって怯むだろ……これだから都市伝説ってのは……。

「なに、ケンちゃん嫌そうな顔して、あーわかった! もしかしてケンちゃん口裂け女ってほんとは可愛いかもしれないとか思ってるんでしょ」
「はぁ? 何を言ってるんだお前は?」
「可愛くない彼女で悪かったですね。いいもん。ケンちゃんじゃなくても男は他にもいっぱいいるもん」
「おい、照美……」
「ぷん」

 コイツの頭の中は一体どうなってるんだ。展開をいろいろすっとばしすぎだろ。さっきの発言からどうやれば俺が口裂け女を可愛いなんて思うんだ……いやでもそれだけ強く嫉妬してくれてるってことは男として冥利に尽きるってことも……いやいやいや。

「マスター。ベリチュパ一本コイツに」
「かしこまりました」
「え? ケンちゃん……私のために……」
「あぁ、ちゃんと味わって食えよ」
「わぁ! ありがとうケンちゃん大好き!」

 さっきまでの不機嫌はどこへやら。またしても思い切り抱きついてくる照美を見て、つくづく俺達は似たもの同士だなぁと思った。
 だって俺も照美もぶっちゃけ都市伝説の話なんてただの口実でしかなくこうやってイチャイチャできれば何でもいいと思ってるだけなんだから。
 その後も俺と照美はひたすら無駄話に花を咲かせつつ、俺のバイトの時間までずっと二人でイチャイチャしてるのだった。

「さてじゃあ、そろそろ行くかな」
「えーもう……。明日はいつ会える?」
「今日と同じぐらいかな」
「そっか……うんじゃあ気をつけて」
「おう」

 照美とは毎日会ってるけれど、ほんのちょっとでも会えない時間があるとやっぱり寂しさを感じてしまうのは俺達がバカップルだからだろう。ほんとは四六時中ずっと一緒にいたいとは思ってるが、そんなことは不可能に近い。
 照美も俺と同じようなことを考えてるのかその表情は暗かった。

 照美が小さく呟く。

「口裂け女……」
「ん?」
「もし見かけても絶対近づかないで」
「なんだ、お前その話本気で信じてるのか。ったくただの都市伝説だろ。そんな本気で……」

 するどい目つきで見上げてくる照美を見て俺はゴクリと喉を鳴らした。

「いいから、もし見かけても絶対近づかないで。私のお願い。ケンちゃんなら守ってくれるよね?」
「あ……あぁ。守るよ」
「良かった。じゃ、気をつけていってらっしゃい。ばははーい」
「…………」

 最後はいつもみたいな無邪気な笑顔を見せて、店を出て行く照美。俺はしばしあっけにとられてその場を動けなかったが、マスターに言われて時間を確認すると慌てて俺も店を飛び出した。
 バイト先まではここからそう遠くないが、少し急がないとまずい。照美との別れを惜しんだのがいけなかったのか、俺は駆け足で公園のすぐ傍を通り抜けようとした。
 すると、目の端に見てはいけない何かが映ったような気がして思わず足を止める。

 ――止めなきゃ良かったと後悔するまでにそう時間はかからなかった。

「わたし……きれい?」
「ひっ」

 そこにいたのは――夏だというのにロングコートにその身を包み込み、顔は大きなマスクで覆われていて目つきはするどく、髪の長い女だった。
 俺は思わず悲鳴を上げそうになったが、これが単なる俺の勘違いだとしたら相手の方に迷惑なので、俺は何も言わずにその場から脱兎のごとく逃げ出した。

 「ありえないありえないありえないありえない」

 何かの呪文のように口にだしながら俺はさっき見た光景を必死で忘れようと努力した。気づけばバイト先にいて、なぜか時間もいつもより余裕だった。それだけ全力で走ってきたのだろう。疲れを感じないのはきっと感覚が麻痺してるから。気持ちが体に追いついていないといったらいいのか……。
 とにかく俺は口裂け女なんてものは信じていない。そもそもそんなのがほんとにいたら今頃日本中がパニックだ。ただ世間の口裂け女のイメージがロングコートにマスクだなんていう単純化されたイメージのせいで、ほんとにそんな格好をすれば誰だって一時的に口裂け女のマネゴトはできる。
 仮にマネじゃなくても普通に風邪をひいたりしてればマスクはするし、夏だけど寒くてコートぐらい羽織るだろう。チュパバーで聞いた照美の言葉を真に受けるのもどうかしてる。あれは照美の嫉妬から出た忠告じゃないか。そうだよ、照美が変なこと言うから勘違いしちゃっただけなんだ。

「そうだよ。そうに違いない……ぶつぶつ」
「あのー……店員さん?」
「はっ! すいません。少し考え事を……っ!」
「コレ頂けるかしら」
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 レジに現れたのはさきほど公園で見かけたロングコートの女。なぜここにいる。俺を追ってきたのか。くそ何たる失態だ。あれだけ照美に近づくなと忠告されていたというのに。これじゃあ照美に会わせる顔がない。もうダメだ。俺はここで死ぬんだ。さよなら照美。ありがとう照美。君に出会えて俺は幸せでした――

「ぷ。あははははははは」
「ひどいですよ聡美さん。そんなに笑うことじゃないでしょう」
「だって、ケンくん。私のこと口裂け女って本気で、ぷふふあはははははは。はっくしょん!」

 事の顛末を簡単に記すとこうなる。俺が見かけたのは正真正銘ただの人で、この今目の前で大笑いしてる聡美さんって方が口裂け女の正体である。
 コンビニに来たのは栄養ドリンクを買いに来たからで、マスクは本当に風邪をひいてるからという単純な理由からだった。
 あのあとコンビニでぶったおれた俺は店長にひどく怒られて、今日は早引きすることになり、なぜかコンビニをでると外で聡美さんが頭をさげにやってきた。
 で、こうしてお互いの誤解を解き、今に至るってわけである。

「ごめんね。こんな変な格好してる私も私だもんね。ちょっと気遣いが足りなかったわ」
「いえいえ、それを言うならオレの方こそすいません。見ず知らずの人を勝手に口裂け女だなんてわけ分からない存在に勘違いしちゃって。そもそも俺が勘違いしなければ聡美さんには迷惑はかけなかったんですから」
「優しいのね。ケンくんは」
「いえ、そんな……」

 コートの中からチラリと見えるその谷間は照美と比べるまでもなく明らかにビッグバンだった。聡美さんが俺の視線に気づき慌てて目線を逸らすも遅かった。

「気になる? コートの中」
「あ、いえ。えっと……」
「貴方、嘘つけないタイプね。顔にでてるわ」
「す、すいません」

 あまりの恥ずかしさに顔から火が出そうだ。聡美さんはとくに怒った様子もなく妙に艶っぽい表情を浮かべながらこう言った。

「コートの中は裸なの」
「え?」

 思わず振り向いてしまって、聡美さんのイタズラっぽい笑顔が目に飛び込んできた。

「ケンくんって単純なのね」
「か、からかわないでください」
「ごめんごめん。見た目より子供っぽいのかなと思ってついイジワルしたくなっちゃった」
「…………」

 どうやら俺には女難の相でも出てるようだ。照美しかり聡美さんしかり、まるで女性の手のひらの上で踊ってるようである。それでも聡美さんみたいな人の手のひらで踊れるなら悪くないなとも思った。
 そうやって心の中でにやにやしてると急に頭に照美の怒った顔が浮かんだので慌てて打ち消した。

「じゃ、じゃあ俺そろそろ帰りますんで」
「あらごめんね。無駄に引き留めちゃって」
「いえ、こっちこそお話できて良かったです。あのままだとずっと勘違いしたままだったので」

 苦笑いを浮かべる俺に聡美さんは優しく微笑み返してくれた。

「聡美さんも気をつけて帰ってください。風邪早く治るといいですね」
「ケンくんも道中、口裂け女には気をつけてね」
「ははは、もう大丈夫ですよ。さすがに二回も同じ過ちは繰り返しません」
「そう、ならいいのよ……」

 一瞬影のある表情を見せた聡美さんだったが、俺はとくに気にした風もなくそのまま踵を返す。

「口裂け女は嫉妬深いのよ……」

 聡美さんが何か呟いたようだけれど、声が小さくてよく聞き取れなかった。
 俺は聡美さんに手を振り、そのまま何事もなく帰宅したのだった。

 その後も俺はバイトが終わると聡美さんとちょくちょく話すようになった。バイトが終わるとなぜか待ち合わせたかのように偶然聡美さんと会うことが多くなったのだ。
 聡美さんの職場が近くにあってちょうど俺のバイトが終わる時間と聡美さんが帰る時間が合うそうで、こうして二日に一度程度だがあの公園で他愛ないことを話あっていた。
 バイトじゃなくてやっぱり就職した方がいいとか、男ならもっと度胸をつけろとか、彼女がいるのにこんなおばさんと仲良くお話してていいのかとかいろいろ年上の女性らしい意見を言われて俺はいつもたじたじになるのだった。
 でも聡美さんと話しているといろいろな悩みがほんとちっぽけに思えてきてすごく楽になる。自分みたいな大人になりそこねた中途半端な存在には、こうして無理矢理引っ張り上げてくれるような人が必要なのかもしれない。
 勘違いから始まった出会いだけど、今ではその出会いに感謝すらしている。
 これもすべて口裂け女のおかげかもしれない。あの話を聞いてなかったらきっと聡美さんとも出会っていなかったかもしれないのだから。

「どうしたのにやにやして。何か良いことでもあったの?」
「え?」

 振り向くとそこには不機嫌な顔した照美が立っていた。
 やべぇ、もうそんな時間か。ここ最近はチュパバーに来ても聡美さんのことを考えていたから気を抜くとすぐに照美の存在を忘れがちになってしまう。
 さすがの照美もそろそろ感づいてる頃だろうし、ここで下手な言い訳をしても余計に拗れるだけだ。
 俺は仕方なく今考えてたことをそのまんま照美に話した。けれど――

「なにそれ。信じられない。私という女がいながらケンちゃんずっとその人と付き合ってたの?」
「ば、ばか。付き合ってるとか付き合ってないとかそんな関係じゃねぇよ。たまに話聞いてもらってるだけだろ。友達だよ友達」
「ふーん」

 ものすごく納得してなさそうな目で見下ろしてくる照美をなだめながら、俺はマスターにベリチュパを数本注文した。これで照美の機嫌が直るとも思えないが、何もしないよりはマシだろう。
 照美は目の前に出されたベリチュパを無言で舐め続けながら、俺の手をぎゅっと握りしめてきた。
 やっぱりまずいよな。これは完全に俺が悪い。ほとぼりが冷めるまでしばらく聡美さんとも会わない方がいいだろう。
 俺は心の中でそう決心すると笑顔で照美に向って言った。

「今夜、俺ん家で待ってろよ。コレ合い鍵。バイト終わったらすぐ帰るから。今日はお前のために限界までハッスルだぜ!」

 どっかのペコちゃんみたいな顔で親指をグっと立ててみる。我ながらすごくアホな姿だと思う。でもこれが照美にとっては一番効果的なのだ。

「ほんと? 私全裸で待機してるから! ケンちゃんが来るまで全裸で待ってるから! キャホホーイ!」

 突然全身を震え上げて喜ぶ照美を見て店内は若干ざわつくが、別に今に始まったことでもないのですぐ治まった。これでひとまずはしのげるだろうと俺は安堵のため息をついた。
 それからバイトの時間まで超ご機嫌になった照美の相手をして、すっかり疲れ果てて、それを見かねたマスターは俺に無言でロイスパを握らせ、俺は涙をちょちょぎらせながらマスターにお礼を言い、その気合いでバイトもフルボッコにして、いざ帰宅しようと公園の前を全速力で通り過ぎようとすると、いきなり目の前に柔らかいクッションが――

「ぶへあっ!」
「きゃっ!」

 俺は盛大に尻餅をついた。ぶつかった相手もどうやら地面に倒れたらしく、コートに隠れた大きなその胸が激しく揺れ――

「って聡美さんじゃないですか! 大丈夫ですか!」

 俺は慌てて立ち上がり、腰をさすっている聡美さんに手を差し伸べた。

「すいません。ちょっと急いでたもんで……」
「いいのよ。前をきちんと確認してなかった私も悪いのだから」

 聡美さんはいつものようにその優しい笑顔で俺の手を握り替えしてきた。温かい。人の手ってこんなに温かいんだ。

「ケンくん急いでたようだけど、何かあるの?」
「あ、はい。今日はそのえっと彼女さんと……」
「あらあらまあまあ。うふふ。それはお楽しみの邪魔しちゃ悪いわね。今日はここでお別れね」

 何か含みのありそうなイタズラな笑顔で聡美さんが茶化す。俺も照れ笑いしつつ、ぶつかっておいて何もせずに帰るのは忍びないと思い、ごそごそとポケットを漁っているとバイトに行く前にマスターにもらったロイスパが一本見つかった。

「今日はコレで。この埋め合わせは必ず!」
「チュッパチャップス?」
「はい、俺のお気に入りです。ぜひ聡美さんも」
「ありがとう。もらっておくわ」

 聡美さんがロイスパを快く受け取ってくれたのを見送ると俺はそのまま自宅に向けて走り出した。

「うふふ。私に飴なんて……嫌われてるのかしら……いいえ、その逆ね……。これは――」

 またもや聡美さんが何か言ったようだが、俺は上手く聞き取れずにそのまま聡美さんに手を振って別れた。
 家に着くと電気はついておらず、鍵もしまっていたので「照美はまだか、よかった」と安心して玄関を開けた――でも――

「おかえりケンちゃん」
「え?」

 暗闇に立ちすくむその姿はまるで何かの異形をそのまんま再現したかのような不自然な姿だった。およそ屋内でその格好はまずないと思われることから明らかに異常だと脳が警告を発している。
 けれどその声には聞き覚えがある。どう聞いても俺が知っている声で、俺以外にこの家に入れる人物と言えば一人しかいない。
 だけど、それにしたってコレハイッタイナンノジョウダンダ?

「口裂け女にはあれほど近づくなって言ったよね?」
「お、おい。お前なんでそんな格好……」
「私の話を無視しないで。口裂け女には近づくなって言ったよね?」
「あ、あぁ。言ったけど。俺、別に口裂け女とか会ったことないし……」

 あまりの迫力に気圧されて俺は正直に照美の質問に答えた。ロングコートにその身を包み、まるで人を見下すようなするどい目つきでこちらを威圧する照美。マスクはしていないものの、その姿から連想されるものはただ一つ……

 ――口裂け女そのものだった。

「ねぇケンちゃん。本当の口裂け女って見たことある?」
「本当の? な、何言ってんだよ……さっきも言ったけど俺、口裂け女なんて見たことないし会ったことも……」
「じゃあ私が見せてあげる。本当の口裂け女が一体どんなものなのか……」
「あ、あれか。聡美さんと会ったことを怒ってるのか? だとしたらとんだ勘違いだ。今日はほんと偶然だ。いやいつも偶然だけど、今日はほとんど話もしてないし、そ、それに俺はお前のために急いで帰らなくちゃいけないって聡美さんに宣言してきたんだ。だ、だからそう怒るなって……話せばわかる……な? と、とりあえずそのコート脱いで落ち着こうぜ。なんか今のお前ほんと口裂け女みたいで……」
「――わたし、きれい?」

 パサリとコートが床に落ちる音と共に目の前に現れる信じられない光景。脳のあらゆる情報を探ってもそんな光景は今までにだって見たこともなかった。幽霊が本当にいるならきっとこんな感じだろうということでさえ可愛く見えるほどに今の情景は現実にはありえないほど恐ろしいものだった。
 もはや言葉すら出てこない。絶句とはまさにこういう状況のことを指すのだろう。自分はとても大きな勘違いをしていたことに今更気づいた。気づいたところで本当にどうしようもない。こればっかりはおそらく誰だって気づくことができないだろう。
 まさか口裂け女の口ってのがあんな場所にあっただなんて一体誰が予想できただろう。
 それは都市伝説の中でも最大のタブーとされているスク水という名の恐怖。あるいは支配。その絶対的な存在ゆえに隠匿され今日まで誰も触れようとさえしなかった最大の禁忌。それがまさか実在したなんてことがあっていいのだろうか。
 いやそんなことよりも、そんな些細な事実よりももっと重要な事実が目の前にある。

 口が裂けている。

 いやもっと正確に言うなればスク水が裂けている。
 破れているのではない。最初からそういう構造であるかのようにまるで自然にそこだけが大きく裂けているのだ。
 そこからかすかに空気が漏れ聞こえる音がする。シュコーシュコーと、静かに息をしている。
 まずいと思ってからは早かった。もう本能に近かった。俺はそのまま全力で玄関を飛び出し、さっきまで走ってきた道を全速力で駆け戻る。
 あそこにいたらまずい。いやアイツの前にいたら確実に食われる。
 乱れる息を整えもせずにただひたすら逃げる。追ってきてるかどうかを確認するために振り向くなんてとんでもない。そんなことをすればまず間違いなく振り向いた瞬間に終わりだ。
 前を見ろ。今は自分以外の他の誰かに出会うまでひたすら走るんだ。
 口裂け女が襲うのは目の前にいる人物ただ一人だけ。複数人でいると出会うことはない。たしかチュパバーで小学生達がそう話していたはず。
 科学的な根拠は何もないけど、少なくとも今一人でいるよりは何倍もマシであることは間違いなかった。
 とにかく誰でもいい。誰か、誰か俺の前に現れてくれ。そう願っていると突然目の前に誰かが立ちふさがった。

「あら、もしかしてケンくん?」
「…………」

 今度はぶつかる前に立ち止まれた。さっきよりも確実に慌てていたはずなのに、体は見事なほど聡美さんの手前でピタリと止まっていた。
 おそらく体力が限界にきてたのだろう。安全な場所を求めて走りまくった結果、視界にそれらしい人物を見つけて体は急激にリラックスし、もう大丈夫と判断して活動を止めた。
 しばらく息を整えるために聡美さんに話しかけることすらできなかったが、聡美さんは俺に何か事情があるのかもしれないと思ったらしく、無言で俺が話し始めるのを待ってくれていた。
 近くの公園のベンチで腰を落ち着けて、俺は隣に座る聡美さんにぽつぽつとしゃべり始めた。

「そう、そんなことがあったの……」
「え、えぇ。とても信じてもらえないかも知れませんが、アイツ……アイツが本当の口裂け女だったんです……お、俺、そんなことも知らずにずっと付き合ってて……でもまさかあんな化物みたいな姿で現れるなんて……」
「……………」

 自分でも何を言っているのか分からないけれど、一度話し始めたら止まらなかった。あんな体験二度としたくない。俺は困惑する聡美さんを尻目にひたすら言いたいことをぶちまけた。
 一通り言いたいことを言い終えると頭は冷静さを取り戻し、急に恥ずかしくなってきた。聡美さんにまた迷惑をかけたと思い、謝ろうと聡美さんのほうを振り向くと――

「ねぇ……わたし、きれい?」
「え?」

 逃げる隙さえなかった。なぜなら振り向いた瞬間に聡美さんに食べられてしまったのだから。

 視界は真っ暗で先ほどみた光景がフラッシュバックする。聡美さんのコートの下にも照美と同じスク水。しかも口がパックリと大きく裂けているあのスク水だ。その口が大きく開いたかと思うと俺は頭から一気にかぶりつかれていた。
 今更後悔しても遅い。ほんとどうして俺はいつまで勘違いし続けてきたのだろう。どこで間違えたのか。いやそんなのとっくに分かりきっている話だ。
 俺が分かろうとしなかっただけ。都市伝説が楽しめないのもそれを馬鹿にして現実を見なかったからだ。
 現実を見ていない俺はいつまで経っても中途半端な存在。こうして口裂け女に食われるまで自分が間違っていたことにさえ気づかない愚か者。
 それでも……それでも俺は照美や聡美さんが好きだったんだ。あんなに充実した日々を送れたのはあの二人のおかげだ。あの二人が口裂け女だからってそんなのはもうどうだっていい。こうして聡美さんに食われてしまった俺はもうこの世にはいないことになっているんだろう。
 意識が薄れゆく中、かすかに漏れ聞こえる誰かの会話を耳にした。

「ちょっとお母さん! ソレ私の獲物なんだけど……」
「あらごめんなさい。この子、私達のこと化物なんて言うからつい。うふ」
「あーその目、最初から分かって狙ってたでしょ。ひっどーい。私なんて数ヶ月も我慢してやっと食べ時だったのに」
「まだ半分しか食べてないから残りは貴方にあげるわ」
「いらない。もう興味ない。次の獲物探すもん」
「あらあら。まだまだ子供ねぇ……」
「ふんだ……」

 あーそうか。どこか雰囲気が誰かに似てると思ったら二人は親子だったのか。
 どおりで好きになるはずだよ。だって二人とも俺の大好きな――

「さて次の街へ行こうっと」

 闇夜に浮かぶ怪しげな女に出会ったらご注意を。次は貴方の街に現れるかも知れない。



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